ふと思ったんだけど「推し」にのめりこむ論理とかモロに宗教じゃん
現実生活が不遇でアイドルに給料や余暇時間を費やして何か大きなものに従属していることで疑似共同体の安心感を満たす、現実が不遇だからこそどんどんカモになっていく
それって池田大作推しの創価学会員の構図にそっくりじゃん。座談会とかに参加して承認欲求を満たしている戦後の折伏の論理そのものじゃん
今もやってるか知らないけどAKB48の総選挙の異様な雰囲気も、創価学会の文化祭マスゲームとかと似ているじゃん。スタジアム貸切ってなんか無駄に豪勢なことやって、実際にはなんでもないことを疑似権威みたいに盛り上げてスピーチして涙流しているの。違いは「池田先生」じゃなくて「秋元先生」って言ってることだけでしょ


そこで思ったの創価学会とか天理教の教団が最近ぱっとしないのって
本来なら学会員になるであろうターゲット層がごっそりアイドル産業に取り込まれているからじゃないだろうか