本来の秩序の在り方 ⑩~⑫

⑩ところで、この実存的境界例論に基づいて改めて「一人の人間」というものを考えてみると、「一人の人間」として完成するには「挫折」、つまり「理解力が既存のインフラを超えられる事」が必要であり、となるとそもそも人間の仕様として「一人の人間として完成出来る人」は一部だけ、少なくとも全員ではないという事になる・・・。
 若者に悪絡みして自分の架空の存在意義を作りたがる糞みたいな自己愛中高年ストーカーの多さや、不幸になりたがるボダ女の多さ、若い人達の間でも昨今急速に「キョロ充」「無キャ」という概念が広まっている事等からも明らかだろう。
 すると新しいというか、本来の仕様に則った秩序が必要という事になる。
 挫折経験による個人レベルでの「破開(「はかい」。限界状況における人間存在の原則が突如として出現した事実。)」の有無を基準に人々を2グループに分け、破開済みのグループが軸で、未破開のグループはそれに従う、という秩序が。
 よくありがちな、声や気が大きい強欲な人が中心となる秩序ではなく、寧ろその逆である、挫折出来る人間が中心となる、謙虚な秩序。
 これが本来の秩序の在り方だと思う。
 「気が大きいだけの人達の歪んだ正義の暴走」を防ぐ意味での個々人の自由や平等は必要だが、まるで「生まれて来た人間全員が輝ける」かのような、「自分が輝けないのは誰かの差別によるものである」かのような「勘違い」はもういい加減卒業すべきだと思う。