ヘルムート・ケントラーは、ドイツの権威ある性科学者として知られていた。そんな彼が行っていたのは、親のもとで育つことができない少年たちを小児性愛者の養子にするという、国家お墨付きの実験だった──。

少年たちの人生を犠牲にした実験の背景には何があったのか。被害を受けた男性のインタビューを交えながら、米誌「ニューヨーカー」が長編ルポを掲載した。全訳を全6回でお届けする。

2017年、ベルリンに暮らすマルコと名乗るドイツ人男性は、幼少期に会った覚えのある大学教授の写真を新聞記事の中で見つけた。最初に気づいたのは、その薄い唇だった。ほとんど見えないほど薄い唇が、子供心にも不快だったことを思い出す。

そして記事を読んだマルコは、写真のヘルムート・ケントラー教授が、ドイツを代表する著名な性科学者であったことを知って驚いた。その「ケントラー実験」に関する調査記事によれば、ケントラーは1960年代後半から、育児放棄された子供たちを小児性愛者の里親のところに送り込んでいたという。

実験はベルリン州政府によって認可され、資金援助もされていた。1988年にケントラーが州政府に提出した報告書には、実験が「完全な成功」だったと記されていた。

マルコは里親の家で育ち、その養父は頻繁にマルコを連れてケントラーの家を訪ねていた。マルコは現在34歳。1歳の娘がおり、育児を中心に日々過ごしている。記事を読んだときのことをマルコはこう話す。

「頭の隅に追いやりました。何も感じないように。そしていつもと同じように何もしなかった。ただ、パソコンの前に座っていました」

日焼けした肌に引き締まったあご、豊かな黒髪、左右対称の面長の顔。映画俳優になれそうなルックスをしたマルコは、大人になってから泣いたことはただの一度しかないと言う。